城ヶ島実習
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学生実習で3/7-18の予定で小笠原諸島に滞在中、東日本広域の地震による津波に遭遇した。学生は避難所に退避させた(地元消防団が収容・輸送してくれた)が、僕は高台から観測して住民の避難や移動の判断の材料を提供することにして、画像と映像を取りながら桟橋を基準に潮位の変化を観察した。(母島には潮位計がないとのこと。)
観測開始は17:10頃。17:25~17:45頃に4波の津波を観測。その後潮位変化は続くものの、波高は低下したので、18:25まで観測して、安全と判断し撤退。日没で視認が困難になってきたこともある。18:30頃、支庁の方に潮位変化の状況を説明したのち、避難所に戻った。
父島では浸水した地区もあったとのことだが、ここ母島沖港では被害はほとんどなかった模様。たまたま、干潮のタイミングに津波が当たったこともあるかもしれない。
父島-東京間の定期船が影響を受けて入港が遅れているが、東京の戻りは3/18の予定。
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濱田先生には大学の教養時代、生きている化石研究会で、あるいは修士の頃、そして無職時代にジュニアスペシャルの監修に加わらせていただき、たいへんお世話になった。いま、僕が何とかご飯を食べていられるのも、濱田先生のおかげだと思う。
それは単に仕事を世話してくれたという恩義ではなく、人々に科学を正しく伝えることの重要性と難しさ、明るい雰囲気を保つことの大切さ、いかにして要点をまとめ、わかりやすく説明するか、という能力、そういうものを一緒に仕事をしながら教えていただいたように感じている。
いまでも、まっとうな大学の教員とはいえない自分を自覚するけれども、本務先の大学や放送大学の学生から、授業が面白い、とか、地球科学に興味を持った、とか、肯定的な評価をいただけることがあるのは、ジュニアスペシャルに関わっていた修業時代のおかげだと感じる。だいたい、大学院時代の僕の発表はわかりにくい、面白い話が最後にならないと出てこない、と、プレゼンテーション能力はクソミソの評価だったからなあ。
ジュニアスペシャルの頃の濱田先生は、まさに本物のタレント教授というべき、タレントを発揮して輝いておられたことを思い出す。昨今のエセ科学をばらまくような学者風芸能人と違って、良心的であり、なによりこどもたちが大好きだった。図鑑や児童書にも多く関わられていた。こどもの心を忘れない大人だったと思う。
濱田先生の教えを大学で受けただけでなく、一緒に仕事をさせていただいて、間近でワザを”盗む”機会を与えていただいたことは、かけがえのないことだったと思う。考えてみると、「生きている化石」ゼミ以外で、濱田先生の講義を受けた覚えがない。いつもそこにいて、アドバイスしてくれる人だった。大学とは、人の出会いの場であり、だからこそ貴重な学びの場なのであって、決して講義そのものだけで人が育つわけではない、ということを痛感させられる。
濱田先生、長い間ありがとうございました。ご冥福を祈ります。
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空港のすぐ裏山が、ニッケル鉱山の露天掘りで赤茶けた山肌を露出させている。ニューカレドニアは南太平洋でも特異な生態系をもち、ゴンドワナ分裂以降の大陸移動の歴史を反映している。マントルの岩石が露出しているので、ニッケル・コバルトが採れるために、植生や地形が破壊されるだけでなく、政治的にも微妙な位置にある。現在はフランスの海外県扱いだそうだが、はたして独立するのだろうか。
乗り継ぎの際に世話になった、空港職員の手際の良さは、南太平洋らしくないものだった。一方でフィジーの空港の非能率はなかなかなもので、あまりそれは変わっていない。独立したフィジーが幸せなのか、フランス領であることがニューカレドニアにとって幸福なのか、一概に判断はできないのだが、民族の問題は自己解決していくしかないのだろう。西欧の大航海時代とそれ以後の負の遺産はなおも南太平洋に残っている。
資源と政治は不可分で、資源の取り合いは戦争をももたらす。難しいものだ。
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10月に実施する野外調査法の野外実習下見で大島に行った。写真は「海の精」の製塩工場で見せてもらった、食塩の結晶。ずいぶん大きい。
到着日の土曜は曇りのち雨。海のふるさと村のテントを確認し、食料の仕入れ先を教わって、海岸の調査ルートの確認。移動途中で豪雨に遭遇。
日曜は晴れて、海の精(株)の工場や製塩場を見学させてもらい、たいへん興味深かった。専売時代から苦労を重ねて天然の塩作りを続け、いまでも工夫しながら塩を作っている様子を拝見し、その姿勢そのものを学生に見せたいね、と同僚たちと話した。
時間が少しあったので、前日あきらめた山頂部の見学に向かい、カルデラ内を確認して港へ。この時期、定期客船は13:20出港なので忙しい。
思えば、最初に大島に来たのは噴火後の1987年4月、その年の12月には地学見学旅行で来ている。23年経って、学生だった自分は教員になって引率する側になっている。月日の経つのは早いものだ。当時、黒々としていた1986Aの溶岩流も、だいぶ緑が目立ってきた。当時の自分と変わった気はあまりしないのだが、少しは成長できたのだろうか。
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放送大学面接授業「武蔵野台地の自然史」で、29日午後、30日午前午後と野外観察。地形や地質と湧水、そして植生など生物相、人の手の加わった自然としての雑木林や湿性植物の観察などを行った。29日は等々力渓谷と多摩川河原、30日は野川公園と大沢緑地、西国分寺の伝鎌倉街道から国分尼寺、国分寺跡、真姿の池湧水群。予定に入れていた貫井神社と新次郎池は後述の事情で省略。
大沢緑地の湧き水でできた、「ホタルの里」の湿地の木道のそばに、どうも違和感のある動物を発見した。20人以上の大部隊で木道を歩いているのだが、いっこうに動じず、草をむしゃむしゃ食べている。あまつさえ、こちらに身を乗り出してきた。どうみても在来の生物ではない。これは見過ごして良いものだろうか。
外来種を放置するのはまずかろう、と、さすがは生物の先生、木道を降りて捕獲に向かう。一応、草むらの中に隠れたが、実は水が苦手なのか、アホなのか、頭隠して尻隠さず、手づかみで生物の先生の魔手に落ちる。哀れ来週の生物学実験の解剖材料か??
つかまえてみると、やはりモルモットで、白黒の模様、25cmほどの大きさ。キーキーいうが、たいして暴れない。参加者が提供してくれたレジ袋に周囲の草と一緒につっこみ、タオルで外からくるんで持つが、意外におとなしい。
さて、このへんの飼育していたものが逃げ出したのか、ともかくこのまま放置すると不幸な結果を招きそうなので、地元の方に交番の場所を聞き、バス停に移動したついでに交差点の交番に持ち込んだ。交番には指導員の方がいたのだが、本部に指示を求めると、保健所に持って行って即日殺処分だという。それでは保護した意味がない。どこかの幼稚園や小学校で飼育していた可能性もあるだろう。電話の途中で、「うちの大学で引き取りますから」という話をして、連絡先の名刺と保護状況を書いて、交番を離れ、バス停に戻る。
武蔵小金井駅にバスで出て、西国分寺に移動。まだ野外観察が残っているので、駅のコインロッカーにモルモット君を押し込み、武蔵国分寺跡方面を回ってから、17時過ぎに戻ってきた。寝ていたようで、まったく手のかからない動物だ。参加者の方がもらってきてくれた靴の箱に入れ、交番の方がくれた三鷹市指定のゴミ袋に押し込んで、生物学のK先生が自宅に持ち帰ることになった。まるで生ゴミ扱いという気もするが、まあいいだろう。
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