将来やりたいことを見つけるということ
上市台地の末端に位置する水戸一高から望む筑波山と夕暮れの水戸市街。1983.11撮影。現在はこの方向にマンションが建設され、眺望が遮られている。
母校での教育実習も残り1日になった、1989年の6月のある金曜日放課後、教育実習生による進路相談会が開かれた。教育実習生の1人だった僕も話をすることになり、十数人ほどの高3生を前に話をした。自分が地学をやりたくて教員の専門分野を調べ、大学を選んで進路を決め、1年自宅浪人して希望の大学に進み、何度かピンチに陥りながら希望の学科に進んで、いま将来に希望を持って卒業研究に取り組もうとしていることなどをかいつまんで話したような気がする。
僕の後に話をした、たしか1年下(僕は一浪したので教育実習も現役組より1年遅れた)の国立大文系の実習生だったが、「自分のやりたい学問が決まっている高校生なんて少数で、ほとんどの生徒は自分のやりたいことが見つからないまま、とにかく勉強していい大学に進まなくちゃ、という強迫観念で大学に進むのが当たり前だ」ということを言うので、びっくりし、かつ、かなり敵意を持った話しぶりに聞こえたこともあって、ショックを受けたことが印象に残っている。なんだか、まるで自分のやりたいことを見つけてそのために大学に進むのが、特権的なことのように聞こえて、非常に心外というか、相容れないものを感じたのを覚えている。
僕がそんなに場違いな話をしたかどうか、当事者にとっては定かではないが、その翌日、僕がお世話になっていた生物科の教員室に、「大学で地学をやりたいんですけれど・・・」と尋ねてきた高3生が2人いて、進路相談に関わることになったので、そんなに無駄ではなかったのではないか、と、少し救われる気がした。この2人はどちらも最終的に国立の理学部地学/地球物理学に進学し、専門を活かした仕事に就いていて、いまでも年賀状のやりとりがある。うち一人は僕のいた大学に入学し、僕のいた学科に進学し、僕のいた研究室に入って、いつの間にか僕より早く学位を取得し、僕より早く就職し、家庭を持ち、学会で活躍している。面白い因縁だ。
「自分のやりたいことを見つけて、そのために進学先を選び、大学に進む」ということが、果たして特殊な少数派なのか、そして他人にそういう生き方を期待してはいけないのか、時々思い返しては考え込む。自分が特殊例なのだとすると、自分を基準にして進路の選び方を語ることは不親切だということになる。僕は物事のとらえ方が基本的にかなりポジティブなので、自分のことを語ることが、自慢か、脳天気に聞こえることがあるのかもしれない。後になって考えると、わざわざ異論を述べた実習生には、それなりに悩みがあったのだろうし、ある種の嫉妬があったのかもしれない、と思うのだが、とにかく僕にはかなりショックな出来事として記憶に残っている。
いま、僕は大学の教員になり、学生たちの進路の相談に乗る立場になっている。もっとも、僕のところに来る学生は、ある程度自分で自分の進路を決めた上で相談に来る、しっかり者の学生ばかりであるという気がするが、僕がアドバイスしていいのかどうか、上記の経験もあって、心の中で少し悩みながら、もっともらしいことを言っている気がする。幸か不幸か、大学院以降、紆余曲折があって、僕の人生はかなり妙な経歴をたどったので、たぶんふつうの大学の先生とは違った見方や立場でコメントをできるという強みはあるのだが。
僕が自分の進路を決めるまでに、どんなことをして、何を感じ、どうしてその方向を選んだのか、また決めてから何を悩み、迷い、何度かリセットや引き返しを考えたことがあったのではなかったか、などとつらつら考えてみた。途中の思考過程は省略するが、結論は、「好きなことを見つけて、それを自分の人生の中で実現するためには、かなりたくさんの努力を要するし、それなりの犠牲を払うものだ」ということだ。厳しい言い方になるかもしれないが、「好きなこと、やりたいことが見つからない」というのは、それが見えてくるだけの努力をしなかったからだ、ということに過ぎない気がする。
学校や本での出会いから、これは自分がやりたい分野なのではないかと思い、興味を持って本を漁り、学問の成り立ちを知り、その分野のことを自分でやってみて、向いているかどうかを考え、やはり向いていないと思えば、別の分野に手を出してみて、うまくいくかどうか試してみる。その繰り返し、無駄な努力を数限りなく繰り返して、それで思いつく限りの可能性を試した上で、やはり自分にはこれが一番合っている、やっていて楽しい、という「何か」を自分で納得する。「やりたいことが見つからない」のは、そういうプロセスをきちんと経ていないからなのではないだろうか。
学校の勉強をきちんとやっていたら、必ず「やりたいこと」が見つかるわけではないのは当然なのだ。もちろん、幸運にも学校の勉強の中で見つける人もいる。ただ、僕はそうではなく、学校以外での学びが、僕の学びの骨格をつくり、自分の進路を決めたことは間違いない。学校で教わる勉強よりも、図書館の本を読みあさることや、友人を巻き込んでの化石採集や、映画制作や、創作活動にエネルギーを注いだ結果、高校時代の学校の成績は中くらい以下だったし、大学受験も一度失敗して自宅浪人するはめになった。でも、その無駄な努力こそが、自分の進路への確信を育てたし、映画制作や脚本執筆の経験は、仲間の中で唯一僕だけが、番組・映像制作で活用する機会を得ることができた。本当は、無駄なことなんて、ひとつもなかったのだ。
たぶん、いまなら件の実習生に、アドバイスできるような気がする。「やりたいことを見つけるには、それなりの努力・試行錯誤や失敗を繰り返す覚悟が必要で、それがなければ、いつまで経っても君の不満は解消しないのだよ。自分の頭で考え、自分に必要だと思うことを、自分の責任で、勇気を持ってチャレンジしてみなさい。」と。
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